作仏の薦め
五戸町の倉石にある「天神様の銀杏」を見に行った。このイチョウは現在は杉林の中にあるが、昔は隣りの高台に移った新山神社があった場所である。車道からも見えるがよほど気をつけて見ないと気付かないで通り過ぎてしまう。
樹齢は推定700年、幹周は10メートルを超えている。姿形は凛として神々しいものを感じる銀杏王国・青森県を代表する巨木の一本だ。
この銀杏の枝が2年前の正月元旦に雪の重みで折れたという。大小の枝が、チェーンソウでぶつ切りにして野積みとなっていた。その中の一本を管理者の服部勤さんが快くわけて下さった。
以前まねごとで初めて作仏したにかかわらず、結構様になっていて褒められたことがあった。図に乗ってまた気が向いたら彫ってみようと思ったからだ。
作仏の動機
一ヶ月を過ぎた日。90歳になる父が入院している病院から自宅に帰り、在宅介護することになった。母も85歳で耳が少し遠くなっている。4人の子ども達は遠い県外に就職している。
私は仕事があるので、妻が中心となって介護をしなければならない環境になってしまった。退院後は増々負担も多くなる。泣き言も言わず朗らかに介護してくれている妻には心から感謝している。
この時期、私の親しい知人や仲間も次々と病気で入院し、闘病生活をすることになった。このこともあり、銀杏の地蔵菩薩を彫ってみようと思い立ったのだ。
何んの力にもなれない自分はせめて長寿の「天神様の銀杏」で地蔵菩薩を作仏することでエールをおくりたいと思ったからだ。
私は神仏に対しては畏敬の念は持っているものの、宗教心もないし、作仏の方法も教わったことがないシロート。ノミと彫刻刀を購入し、この地域の仏師で有名な「奇峰学秀」の地蔵菩薩の写真を見よう見まねで彫った。
奇峰学秀は、田子町の出身で九戸政実の菩提寺である九戸村の長興寺や八戸の大慈寺の住職もしたことのある偉いお坊さん。3000体以上の仏像を作仏したと いう。その中の1713年に彫った八戸の「松館大慈寺の地蔵菩薩」を手本とした。この地蔵菩薩には七行の銘文が記されていて、一行目には枯山道栄信士、七
行目には天室妙普信女と記され、この間に両人は学秀の父母である旨の記銘があり、父母を思って彫った学秀の力作で気品のある地蔵菩薩と云われている。
この地蔵菩薩を手本としたがドシロウトの見よう見まねであるため、同じようにはもちろん彫れない。しかも銀杏の枝の木目とか節で思うようには彫れない。そこで開き直って自分の彫りたいように彫ることにした。
彫っていると何故か不思議と気持ちが落ち着き集中できてきた。銀杏の枝はまだ生乾きで彫りやすい。乾いてくると割れがはいるのかも知れない。完成とはいえないかもしれないが、5日間彫って何となくここで終りという気がしたのでそこで終了とした。
始めた日が休日で、9時間通して彫った。平日は仕事から帰って2〜3時間彫った。そして5日目で完成した。
天神の 銀杏の巨木の ひと枝で
作仏したり 地蔵菩薩 光雪
入退院をくり返している父を見舞に埼玉から弟夫婦がやってきた。地蔵菩薩を見せ「お前も彫ってみろ」と自慢げに見せ、もらってきたもう一本の銀杏の枝をお土産に持たせた。
一ヶ月ほどしてメールで写真が送られてきたのがこの観音菩薩の写真。初めて彫ったというが私のはるか上をいっていた。悔しいが完敗である。歳の離れた弟で、この今まで弟より劣るものは一つもないと自負していただけにショックもあった。まあ、一つぐらい負けるのがあった方がいいかと自分を慰めている。
菩薩が完成した頃には仲間たちは退院していた。そして父は今日自宅に帰ってくる。
この地蔵菩薩はきっとこれからもみんなの闘病生活を見守ってくれるに違いない。完成度は未熟であるが、やすらぎを与えてくれた地蔵菩薩であった。 ほとんどドシロートの私たち兄弟でもなんとか彫れたので、皆さんも作仏してみてはいかがでしょうか。