十和田湖 謎の洞窟探検

十和田湖 謎の洞窟探検記 

 十和田湖の陸からは到達できない、中湖の御倉半島の絶壁の下に人の形をした仙人のような石があるとの情報を東北巨木調査研究会会員・鳥谷部氏からいただいた。鳥谷部氏は、十和田湖で約30年間も姫鱒釣りをしているというベテランだが、このことは最近知ったという。
 写真を見せていただいたら、なるほどと思うほどの人面石であった。この人面石の側にはなにやら鉄の梯子のような物もあるとのこと。樹に葉のある季節はまったく見えないため、実際に聞いてみたが地元の人もほとんど知らないのが現状。そこで鳥谷部氏にお願いし釣りボートでその場所に案内していただきハシゴの上に何があるのか探検することとなったしだいである。

 

冬の湖をボートで向かう                        (写真は当日の御鼻部山)

 

 20011年11月23日。幸いに晴れて湖面も穏やかだったので、計画を実行することとなった。鳥谷部氏のお宅に午前7時に行き、車に同乗させていただき十和田湖に向かった。雪も降り「姫鱒釣り」のシーズンも終わりボートも今日で引き揚げるという。

 湖面には一艘の舟もおらず、十和田湖を貸切した気分で爽快であった。

 遠く御鼻部山には積雪が見え、紅葉も終わり山は広葉樹はほとんど葉を落としていた。

 ボートでの走行は、風を受け顔が冷たくなり涙が出て来るので船のフードに隠れるようにして乗った。

 まもなく現地に到着した。近くに御倉半島の赤い肌をした大きい壁が見える側であった。

 

陸路では辿り着けない場所 

 

 この場所は、周りが全て絶壁となっており、陸路では来れない場所に見受けられる。陸になる部分は湖水の波に侵蝕され所々岩に割れ目や穴のようなものがある。

 鳥谷部氏の指差す方向を見ると、岩の割れ目に何やら像のようなものが見えた。近づくとそれは、まさしく人の形に見えるものであった。

 

仙人のような石 

 

 長い衣と苔の髪をまとい、長いひげ、目鼻までそれらしく見える。見ようによっては、仙人になった「南祖坊」か「キリスト」のようにも見えた。自然の悪戯か奇跡が造ったアートである。

拡大写真がこれである。仙人かキリストの像にも見える。
拡大写真がこれである。仙人かキリストの像にも見える。

 すぐ隣りに鉄のハシゴがあった。ハシゴの下の湖面には枯木が沈んでおりボートが近づくことが出来ない。鳥谷部氏も洞窟に入ったことがないので上陸したいようであったが、ボートを付ける場所がなく私が代表して樹につかまり岸の岩に飛び降りた。鳥谷部氏はボートを操りながら待機した。

洞窟は「奥の院」か

 洞窟の入口には奉納「奥院」とあった。どこかのお寺か神社の「奥の院」ということか。洞の外側は、赤い岩となっている。あの絶壁の色と同じだ。そんなに堅い岩ではないようだ。この洞は自然が造った洞窟なのだろうか。

 

洞窟の入口

 

 ここの洞穴の入口から鉄のハシゴが湖面に伸びている。手すりはまだ使用できそうなのだが、足場のハシゴは腐っているので使用できそうもない。危険なので早目に看板でも立てて上陸禁止にした方が良いのではと思った。

圧倒された洞窟の壁の模様 

 

 洞窟内に恐るおそる入った私は一瞬息を吞んだ。何とそこには小宇宙とも思えるような地層が、後輪のように祠の後ろにあるではないか。
 こんな色の地層があるものなのか。神が造ったとも思えるアートの世界があった。 これは描いたものではない。自然の力がこの地層を創り出したもののはず。写真には不思議な水玉のようなものまで写っていた。正に宇宙というイメージである。よく見ると、宇宙の星や星座に見える様々の色の小石が散らばってこの世界をつくり出しているのだ。

 ここで私は目を疑いたくなる光景を見た、そして聴いたような気がする。それがあまりにも現実離れしているので奇人あつかいされると思うのでここでは記載しないでおく。

 

日本で起きた最大級の噴火

 

 古代の噴火によってできた十和田湖は、湖の南・発荷(はっか)峠の地表をつくる厚さ2mの秋田県毛馬内(けまない)火砕流堆積物は湖の噴火堆積物の最上位を占めてる。この堆積物は谷底だけでなく尾根の上にも薄く広く分布している。毛馬内火砕流は猛スピードで四周に広がり,噴火口から20km以内のすべてを破壊しつくしたという。 (早川・1985)


 疾走した毛馬内火砕流の上には火山灰を多量に含む熱いサーマル雲が立ち上がり、それはやがて上空の風で南へ押し流されたという。十和田湖に南から突き出している二本の岬のうち、この洞穴のある東側の御倉(おぐら)山は噴火口に栓をした溶岩ドームである。この噴火のマグニチュードは5.7であり,過去2000年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模であるという。(早川・1994)


 秋田県の米代川流域では洪水のあとしばしば平安時代の家屋・家具・土師(はじ)器・須恵(すえ)器などが出土している。菅江真澄(すがえますみ・1754〜1829)は文化十四年(1817年)の洪水で出現した埋没家屋のスケッチをかいている。平田篤胤(あつたね・1776〜1843)は『皇国度制考』の中で、出土した六角柱の暦(平山・市川・1966)の復元図を書いている。十和田湖地域の最後のこの噴火が平安時代に起こったことは出土遺物から確かであるが、この噴火を記した史料は十和田湖では見つかっていないという。平山・市川(1966)はこの地変 をシラス洪水とよび、秋田県に伝わる八郎太郎伝説に結びつけている。

 

模様は古代の噴火による珪化木(けいかぼく)か

 

 この謎の洞窟の模様は推測するに、このときの噴火が原因で土砂に埋もれた珪化木(けいかぼく)であろうか。まるで年輪を思わせるこの地層は樹木が原型を変えず化石化したものによく似ている。洞穴は入口部分の穴の大きさと壁部分の円の模様が同じぐらいなので、飛び出していた部分の珪化木が朽ちていき出来たとも考えられる。もし、珪化木とすれば、この円の模様は直径2m以上もあるので幹周6m以上の巨木の珪化木ということになり、十和田湖の植物の生態を知る上で大発見ということになる。2012年の春になったら専門家と再度訪問する予定である。

 

 

 よく見ると、宇宙の星や星座に見える様々の色の小石が散らばってこのアートをつくり出している。

横穴があった
横穴があった

 

洞窟の奥にも穴があった

 

 この洞を入ってすぐ横にも穴と思われるものがある。落下した土砂に埋もれていてよく判らないが、就寝する場所なのだろうか。あるいはその先も穴が続いているのだろうか。土砂を取り除かないと確認できない。

近世に祠は建てられたと思われる

 

 この謎の洞窟には私たち以外にも、この洞窟の存在が聖なる地であることを気付いた人がいるのだろう。祠は比較的新しい時代の物と思われる。注連縄(しめなわ)などに使われる紙垂(しで)は、胴板で出来ているようである。お神酒や賽銭もあった。古銭はなく日にちがたっているのか色が変わっている新500円玉や100円玉などもあった。

 その他はなにも無かったが、地表に積もった土を取り除けば何か発見があるかも知れない。ただこの洞は、住居とか作業所として使用されたという痕跡はまったく無く、祈りや修行のためだけの洞だったことは間違いないと思われる。

 

水の神様「龍神様」を祀る

 

祠には、薄れてよく読めないが「龍神」の字ではないだろうか。十和田湖の水の神様を祀ったものと思われる。

 中湖をはさんで対岸に十和田神社がある。十和田神社の宮司さんの話ではその奥の占い場が「奥の院」となっているということだが、その延長線上にこの「洞穴の奥の院」の場所がある。よって私の推測であるがこの「洞窟の奥の院」は十和田神社の奥の院と考えている。

 

十和田神社

 

 十和田神社は、西側の岬・中山崎の付け根、休屋の奥に鎮座している。江戸期には五戸代官所の「一の宮」としての社格を与えられ、例祭には代官が参加した(南部雑記)。そのため元禄6年(1693)には森ノ越(十和田市)から月日山を経由して子ノ口へ出て、湖西岸の休屋へと続く十和田参道を、五戸代官木村又助が改修している。その時の石碑が今も子ノ口に残っている。(角川書店刊『角川日本地名大辞典2 青森県 』)

 御祭神は日本武尊。場所は青森県十和田湖町(現十和田市)にある。十和田湖には二つの岬が突き出ており。西側の中山崎の西側が、西湖。中山崎と東側の日暮崎の間が、中湖。日暮崎の東側が東湖と呼ばれている。最近はよくパワースポットとして紹介されている。

 境内下の鳥居、漱ぎ場を過ぎ階段を登ると、境内がある。拝殿の後方に本殿があり、社殿の右手に境内社。本殿のすぐ右にある熊野神社には、当社の創祀者とされる南祖坊にちなんで、鉄の草鞋が奉納されている。青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた神社である。

 

 

由 来

 

 大同二年(807)。坂上田村麿東征のおり、湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願し、筏を組んで渡ったという。その祠が十和田神社の起源。


 もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊ともいう)によるもの。京を追われた藤原是真が、熊野権現に祈念して生れたのが、青森県南部町で生まれた南祖坊。熊野に籠って修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国遍歴の旅に出、当地・十和田湖 の畔で、百足の草鞋が尽きた。


 当時、十和田湖には八の太郎というマタギがおり、湖の岩魚を欲張って食べ、喉が乾きたくさんの水を飲むうちに、八頭の大蛇となってしまい湖を支配していた。そこで、南祖坊は、法華経を読誦し、その霊験により、九頭の龍に変化。約36mの身体を、十曲(とわだ)に曲げ、湖のわだかまったという。その後、南祖坊は、この湖の主となり青龍権現とあがめ祀られている。

十和田神社「奥の院」の占い場

 

 神社から丘の上に登ると、巨石や巨木がたくさんあり霊気を感じることができる。更に進むと中湖に面した絶壁に出る。その絶壁を鉄のハシゴで下ると占場。社務所で宮司に祈祷していただいた「おより」を占場から、対岸の日暮崎先端の御倉山を拝し、願いを込めて流す。沈めば吉、流れれば凶ということである。

 

 ここは、南祖坊が入水した場所ともいわれ、石の祠が祀られている。現在は、鉄のハシゴが腐って危険であるためロープが張られ占い場に行くことができない。奥の院の「占い場」への侵入を禁止する張り紙があるのにも関わらす侵入し怪我をする見学者がいたりして宮司さんの頭を悩ませているそうだ。

 

後世に残したい歴史の産物 

 

 写真に占い場への鉄のハシゴが写っている。ハシゴの痛み具合をみると、このハシゴと洞穴のハシゴは同時代の物と推測できる。この日に宮司さんを訪ね洞穴の「奥の院」について尋ねると「十和田神社とは関係無いし、史料も残っていない」ということだった。

 近年の社会状況から見て、神社経営も大変らしく境内の管理責任もあり、大木の落下の補償や施設の改修などまで手が回らないのが実情のようである。

 

 このような国立公園内にある歴史的施設は、年が経つほど風化の一途をたどっている。歴史の産物を後世に残すのは現代人の務め。私たちも含め県や国は積極的に保護・管理するべきと考える。 

右に見えるのが小倉半島と赤壁
右に見えるのが小倉半島と赤壁

 

南祖坊の修行の場所か

 宮司さんから話を聞いた後、十和田湖の歴史に一番詳しく史料などもあるという休屋のお店の主人を尋ねた。やはりこの洞窟の史料は無かった。言伝え伝えでは、小倉半島の洞窟周辺は「御室」(おむろ)と呼ばれており南祖坊が修行した洞窟があるという。また十和田湖には、銀山とか鉛山の地名があるように、むかし鉱山があり、あの洞窟で「偽金造り」をしていた場所とか埋蔵金を隠した場所などとの言伝えがあるという。
 近年には、あの場所で修験者を見たという話もあった。いずれにしても、この探検は夢とロマンに満ちた体験であった。この記事を見た方でこの洞窟についての新しい情報があったら是非聞かせていただきたいものである。最後に、あの洞窟の不思議な宇宙のような模様など神秘に包まれたまま、そっと残しておいた方がいいのかも知れない・・・。